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カゴメのウスターソースがない

5枚切りの食パンもない。それが東京の惜しいところです。

友人の学校(IAMAS)がやってる大垣ビエンナーレに行く。
案内をしていただいたので、楽しめました。
とってもいいなって思ったのが二つほどあって、ひとつは氷でできたレコード。レコードが解けていくと共に音楽がだんだん雑音になっていく様子が感動的でありました。
もうひとつ、コンテンポラリーミュージックのコンサートにて、アンケートアート。こういうものが現代的っていうんだなって思った。でもさっき聞いてみたら、大垣でやってたやつが一番現代的に感じた。大垣でやってたやつは、ピアノ2台とパーカス2人とコンピュータなのだけど、あれがよかったです。もう一回聞きたいな。武満徹作曲賞のときの作品も聞いてみたい。あとビジュアル的にもシンメトリックなところに現代性を感じた。重さがあるけど熱くない、感情的でない作り方、その結果できた曲が結構感情的になれるっていう、完成度の高い作品でした。重さを跳ねのける弾力性みたいなものが、あったように思う。こういうの専門外だし文章にするのが難しい。へぇ。
思うに2つ以上の違う感情とか違う性質のものが合わさったときにできるこんがらがる感じを現代的っていうんでしょうか。

あと島精機の本社の見学に行ったりした。サンプルを見せてもらっているとき、世界のシマで作ったニットのスカートの中からチュールが出てきたのが少し衝撃的でした。あと、やはりプロに対してノーギャラで仕事させるのってすごい失礼。

あとは、川崎和男さんの言っていた何かにどきりとしたのだけど、何だったか忘れてしまった。

あと装苑に載った作品を見てみると、写真が思ってたより良くなかった。白いところは飛んでるし、黒いところは見えないし。あとやっぱ写真もシンメトリーの方がいいな。それかもっと寄ってる写真が良かった。足元に負けてる気がする。でも載ってます。ちらりと見ていただければ幸い。
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  1. 2008/09/28(日) 01:19:20|
  2. art
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3時に出ようと思ったのに

工場見学がてら滋賀に帰る。
宿題やって帰ってこなかったらなぐる。
たまごやきぱんでなぐる。
帰ってきたらばーっと作り始める。
ゆらゆらしない。
  1. 2008/09/22(月) 14:25:11|
  2. private
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古い、という先入観

WWDなどでの東コレ批評が予想外、だったらしい。
それを聞くに、服で勝負しているところが良いと挙げられているように思った。
言葉で繋がった時代を感じることよりも、見た目のディテールやシルエットの簡潔ぶりの方が潔く見える。きれい、と思う一瞬の価値を選ぶことの方が軽い。
ただのきれい。に追いつかなかったかもしれない。美しさの価値観を変えることはほんとうに力のいることだと思った。

自分の時代の時代感を感じようと思った。ギャルソンやヨウジを着ている人は少なかったし、皆勝手で個人的だった。もう自由は持っていたし、何かを主張することよりも場所の選択がスタイルを変えた。フルーツを愛読して、デコラやロリータ、サイバー、どれでも派手なものは全部着たいと思った。当時好きだったブランドは、ビビアン、ネメス、フェトウス、W& LT。制服のスカートは高校終盤急激に長くなった。ファスナー全開の腰スカートだった。服を勉強しだしてギャルソンがファッション史の中で一番好きな出来事だった。ボディミーツドレスは自分のファッションの原風景だと言っている。でもオンタイムで一番おもしろかったのは海外の学生の作品。瀬尾さんや山縣さんの作品がすごく好きだった。

自分の時代の価値観があったはずだ。ファッションおたくにならなかった自分の時代の価値観があったはず。そろそろ自分のものさしを使いだしてもいいかもしれないと思っている。
  1. 2008/09/21(日) 02:02:53|
  2. fashion
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アーティストじゃない、デザイナーだ!

でもバンタン1年生のころの作品を見直してみるとアーティストだったよ。かなり暗めの。
変なデザイン画がいっぱいやしさ。
東京で教わった言葉は「女性像」と「時代感」。
でもこれは今でも好きな文句。


私たちは日々穴を掘る蟻
私たちは日々夜に飛ぶ魚
くじらでさえも追いつけない
でも落ちたら最後
もうそこへは上がってこれない
安堵と共に
生きる大半の理由を失うのだ
私たちは空想する機械
落ちたら最後


最近空想を膨らますことをあまりしていない。
大阪にいるときは夜な夜な部屋ごと宇宙遊泳をしていた。

有名なアートディレクターさんが亡くなった。
ともすればゴシックになりがちな作風をそう見えないように作ろうと心掛けている自分なので、あの人の作品はあまり見たいと思わなかった。
けど記事と共に紹介されているいくつかのCMを見たら、とても良かった。
とても残念です。

この前進路相談をしてみたら、CMプランナーがいいんじゃないかと言われた。
野田凪さんのCMを見ていると、すごくどきどきする。
服とかファッションってそれだけでもうかっこいいから、プレゼンテーションでもそれの向かうベクトルは変わらない。
マイナスのイメージを補うものが自分の想像力やスタイルだったら、なんて実力社会なんだ。そういうところで仕事がしたい。
でも逃げません、勝つまでは。

やばいときは、負けないこと 逃げ出さないこと 投げ出さないこと 信じぬくこと 涙見せてもいいよ
それを忘れなければー 
とエンドレスにくちずさむおおくぼです
  1. 2008/09/18(木) 00:34:07|
  2. art
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今年のファッション大賞

今年の新人デザイナーファッション大賞、私は賞がとれなかったけどいろいろ勉強になった。失敗から学ぶことは多い。アフターパーティーでは皆川さんと小笠原さんに話を聞くことができた。皆川さんには、コンセプトの社会を斜めから刺すような感じがTOGAの古田さんのようなデザイナーになるのかなと感じたというコメントをもらった。で、デザイナーになれるんですね?って感じですよね。津村さんにはファッションデザイナーじゃないって念をおされましたからね(って何に執着しているんでしょうとも思うけど)。古田さんと言われたことも嬉しかったし。あと時間をかけてものをつくるということの健全さを話の節々に感じた。積み重ねたものを崩すことが好きだからそういうのは保守的であまり好かんと思っているけど、今の状態を肯定するには満足すぎる言葉の数々だ。安心できるひとだった。あとファッションはファッションの外から見つけてくるもの、とかも言っていた。小笠原さんには、コンセプチュアルになってしまうことを相談したら、コンセプチュアル問題ない、そこに現代の女性像があれば。今回の服はアート的でちょっとクラフトすぎ。確かに私今回強く見せることに重点を置いていて、女性像を省きました。ってこれありえないっていう話なんですね。人がいてそのキャラクターを具現化していくものが服だから。私はだから今回どういう身近な人を額に入れて飾りたかったかを具体的に考えること、それのリアルな部分と造形的な部分の割合を足し引きしながらバランスよくつくること。あぁほらまたこの作り方。おもしろくないっていわれる作り方。でも自分では結構すきなんだよな、正解を見つけていく感じ。これは自分のプロとして作るときの作り方だと思う。ぱっとしてはっていう偶然のわくわくは、仕事では少し危ない。趣味でよいと思います。保守的じゃないよ、人に要求されているそれ以下の仕事はしたくないです。
って思っちゃった。一回失敗するとこう、保守的だよね。

服作りはロジック、なんて言われちゃうとはまりすぎててのめり込んじゃいそうです。でも今回私が女の子みたいな服をつくったのは、かなり自分の中では客観的に見ておもしろい出来事でした。時間がなくて構築的に考えられなくなったときに、おおくぼさんもこうなるんだね。って思った。あれを積んだのはまぎれもなく私なわけで。

fashiongpf.jpg

fashiongpb.jpg

今回もリアルクローズは点が伸びなやんだけど、私はやっぱりリアルな女性像とか人のキャラクターが感じられる瞬間に心をつかまれる。電車の中やすれ違う人、目に入る人全部のキャラクターや仕事ぶりを気づけば勝手に予想している。その人の親友にしか見せない態度を、他人に披露したいと思っている。
  1. 2008/09/07(日) 09:56:29|
  2. contests
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怖くないからやってみな

前回の続きのようでもありますが、何でもこわがらないでやってみたらいいんだと思います。紙の上にデザイン画を描くだけのデザイナーは古いと、おっしゃっていました。服と私の間に距離を感じるな、そういう服は感情移入できないそして惹きつけないのでは。時代感のある服作りそれ必須、でもそれ万人が理解できるものではない。大衆に訴えかけるためには他にも抜けないところがあるはずだ。服を見るのは業界のファッショニスタか、大衆のひとりの可能性もあるわけだから。
この前の装苑賞の対談にて選んでくれた先生にお話を伺っていたところ、全部ドレーピングで作っているところがいいと言ってくれていた。立体でやるとスッと入ってくるからいいと。これが有機的なかたちに見る感情移入だとしたら、服を作る大切な材料になると思うし、多様性という意味でも個人の範疇に入り込めるひとつの手段ではないだろうか。このような考え方のもと、装苑の3体はお得意の立体感を印象づけられるものにしたいと思いました今。
まさに何もない恐怖を布で覆う、その手の迷いの数だけ何も身につけない怖さを取り除いてくれる自分の体との距離の近い服が作れるのではないでしょうか。
  1. 2008/09/03(水) 03:06:45|
  2. fashion
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東京コレクション

と言っても今回はあまり見るあてもないのですが、今日はミキオサカベのショーへ遠足。東京で一番好きなデザイナーです。勉強がてら書いてみます。主なアイテムはシャネルスーツのパロディ、タイトな服のラインはチャイナドレスから。前回よりフェミニンに、あとコンセプトをわかりにくくすることでより服に軽さが生まれるということ。フェイク金髪の外人や音楽のゆるさ、演出のたるみと明るい色を使いながらも冷たい感覚を覚える服、少しずつのズレ感が空間をつくっていました。シャネルスーツの案を聞いたときもっと派手になるのかと思っていたので、ポップな案をよりエレガントに導こうとしている印象でした。私はみきおさんの話を聞くたびに、この人が東京を変えてくれるんじゃないかと至極わくわくしてみるのですが、今回は先走りすぎました。いろんな余裕がない中でのクリエイションは本当に大変だろうし、そんな中でも前回よりも、という意志が感じられた、緩やかに上がっていく様を見られただけで納得するべきなんだろう(むしろかなり上昇してます)。でもやっぱりてっぺんが他の人より高いから、早くその高みを見せて欲しいなと、第三者欲にかられてしまいます。きっとそんな感じでメディアもかしこもみきお様(新人、特に海外帰国組)だのみ状態なのだろうな。でもまずは東京の人たちが自分でジャッジできる目を育てなくては。だから私もせっせと両眼を磨かなくてはなりません。あと、ショーの最後に出てきた袖にボリュームがあるやつ見たとき、ちょっとさめました。ああゆうの、おつまみ程度に出されても私は嬉しくありません。あと狙ってるのか、服が平面的に見えたことが気になります。スピード感みたいなのがない感じ、狙ってるのかな。前から思ってたけど自分で作らないデザイナーの量感って感覚に肉薄してないから少し感情に距離が出ませんか?アライアさんは今でも手を動かして作っているそうです。
  1. 2008/09/02(火) 02:25:27|
  2. fashion
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